DJおみそのジャニ遍歴について色々と
こんにちは。DJおみそと申します。ただの一般人です。
DJを始めて9か月。
私は縁あって各地のアニクラに携わらせてもらっているわけだが、いつも思っていたのは、「自分の好きな曲を、私も流したい!」ということ。
そんな感じで私はDJ(と言ってもそんな大層なものではない)を始めた。
デビュー戦は徳島の定期アンダーグラウンドイベント「黒歴史はing!」だった。
何か一つテーマを決めて選曲しよう、という中で私が選んだのは、”ジャニーズ”だった。(アニソンちゃうんか)
当時キスマイに興味を持ち始めていたし、ジャニーズの曲って割と老若男女聞いたことある曲が多いし、お客さんも退屈ではないのではないか?ということとでこのテーマに決めた。
このときから私はジャニーズへの沼にはまっていくこととなる……
DJやるにあたって、生半可な知識じゃ曲流せないよな…と思って知識を得ようと選曲と同時に動画漁りを始めた。
そこからジャニーズへの興味はどんどんと深くなっていく。
元々ジャニーズの曲は世代的に知っている曲も多かったし、ジャニーズの世界ってファンの慣習も含め面白いところがあるのでウィキとかで色々調べていった。
しかし、これほどまでにジャニーズって奥が深いものか…これはジャニオタになる気持ちがわかるぜ!でも、私はジャニオタにはならないぞ!と思っていた。
でも、思い起こせば割とジャニーズ好きだったときあったよなぁ…とこれまでの人生を振り返ってみる。
これ以降は私の勝手な回想と戯言です。悪しからず。
野猿ファン
えっ?w いきなりジャニーズ関係ない話?w
当時小学3年生だった私は、野猿にドはまりしていた。
で、どういう風にジャニーズが関係あるかというと、この野猿の結成のきっかけを皆さんご存知だろうか。
”とんねるずのみなさんのおかげでした”というとんねるずの冠番組から登場したわけだが、あるコーナーで、とんねるずがKinki Kidsに扮し、この番組のスタッフがバックダンサーとなり、「硝子の少年」をパロって歌って踊っていたのだ。
とんねるずの悪ふざけがどんどん大きい話になっていき、avexの音楽プロデューサーに電話したら二つ返事でCDデビューが決まり、後に”野猿”と名付けられたのである。
野猿が大好きだった私はきっかけになったその曲を知らなかった。(誰もが知る名曲なんですがね…)
Kinki Kidsってなんや?有名なんか?と思った。
これが、私が初めて知った、認識した、ジャニーズである。
「 学校へ行こう!」全盛期
「学校へ行こう!」とは、1997年から2005年にかけて放送されていた、みのもんたが司会を務めるバラエティー番組で、当時私は小学校中学年~高学年くらいだった。
この番組を、男女関わらず、とにかく学校のみんなが見ていて、火曜日に放送があったわけだが、水曜日はいつも”昨日の放送”のことで話はもちきりだった。
そんな私もこの「学校へ行こう!」を見ていた訳だが、この番組のメインレギュラーこそがジャニーズであるV6だった。
番組のエンディングテーマはもちろんV6の曲で、当時は意識して聴いていなかったものの、今聴くと”あぁ、この曲昔よく聴いてたぞ!(学校へ行こうのEDで)”となる曲が多い。
しかもなんと小6の運動会で踊った曲は「WAになって踊ろう」だった。振りは全く覚えていないが。
余談だが、同級生の従姉妹の学校ではKinki Kidsの「ジェットコースターロマンス」だった。
本当こういうことだけは覚えている。
そして、V6のメンバーの中でも好きだったのが、三宅健くんだった。
この人が私が好きになった初めてのジャニーズだった。
当時は健剛がめちゃくちゃ目立ってたし人気あったからね…
かと言ってV6が出る他の番組をチェックをするわけではなく、「学校へ行こう!」に出ているメンバーなら三宅くんが好きだなーという程度だった。
だから、V6がでるバラエティー番組に、ドはまりしていたのだ。
カセットテープ時代
上記の時代と被っていると思うが、今どきの若い人は知らない、カセットテープの時代から、私はとにかく音楽が好きだった。
母親がよくTSUTAYAに連れて行ってくれ、好きな曲を借りてカセットテープに入れてお気に入りのカセットをつくる、というのが月一くらいの幼い頃の私の楽しみだった。
そこで入れていたのはジャニーズ以外の曲もたくさんあるのだが、これだけは妙に覚えている!という曲がある。
それは、嵐の「感謝カンゲキ雨嵐」だ。
当時嵐が好きだったわけでもなく、何でその曲を自分が選んだのかは全く覚えていないが、流行りの曲や音楽番組で見た曲だから、とかいう理由だろうと思う。
特段好きでもない嵐の「感謝カンゲキ雨嵐」を、テープがのびるくらい鬼リピートして聴いていた。
バレーボールオタでした
母親が重度のバレーボールプレイヤー(?)で、小さいころからバレーの練習や試合についていくことが多く、家にはVリーグの選手名鑑が置いてあった。
何でも興味をもつタイプの人間だった私は、この選手名鑑を熟読していた。
テレビでは全日本バレーが放送され、必ず見ていた。試合をビデオテープに録画までしていた。
そこに映っていたのは、応援サポーターのNEWSだった。
(今でも実家には当時のビデオテープが存在するけど、ビデオを再生する機械がなくて悲しい思いをしています)
NEWSがデビューしたときのことは今でも覚えていて、山Pとゆかいな仲間たちじゃねーか、と思った。
その時はバレーが好きだったので、NEWSはちょっとかっこいい人が何人かいるな、と思った程度で、しかしながらテーマソングであった「希望~yell~」は死ぬほど耳にしていた。
ちなみに、ちょっとかっこいい人というのは、小山、増田、加藤、草野の4人だった。
また、NEWSがHEY!HEY!HEY!に初出演した時もリアルタイムで見ていて、しかもその時のことをよく覚えている。
その時に衝撃を受けたのが手越の存在。
なんだこの芋くさいちびっ子は!(手越さん年上ですが)と思った。
ここまではごく普通の小学生、中学生に近い。
別にジャニオタと言えるようなことはなかった。
ジャニーズという事務所の存在も知っていたし、キャーキャー言われるタレントたちがいっぱいいる、という認識はあった。
しかしながらまだまだ”オタク”に対して冷たい目を向けられる時代だったため、私も同様の気持ちでいた。
ジャニーズのタレントはそれなりに好きだったが、オタクとは違うし、ジャニオタうわぁ…みたいなことを思っていた。
高校生
私は高校生になり、ある女の子2人と(そこそこ)仲良くなった。
その2人がまさしくジャニオタであった。
1人は関ジャニ∞のコンサートに行くほどのオタ(友人A)で、もう1人は亀梨の熱狂的オタ(友人B)だった。
友人Aはいつも関ジャニ∞のことを私に話してきて、私はいつもはぁ…と思いながら聞いていた。
友人Bは亀梨がドラマで伊東美咲とキスして、ガチ泣きしていた。
押しに押されて、私は友人Aから関ジャニ∞の「Spirits!!」というライブDVDを借りた。
そこから、「Spirits!!」を擦り切れるほど見た。(他人のDVDだが)
特に「明日」と「大阪ロマネスク」は鬼リピートしていた。
ぼんやり、好きなメンバーは丸山、渋谷、大倉だった。
関ジャニ∞にはまったというよりは、関ジャニ∞の「Spirits!!」というDVDが好きだった、というほうが正解に近い。
関ジャニ∞のCDを買うわけでもなく、コンサートに行くわけでもなかった。
パソコン購入
大学生になり、自分のパソコンを手に入れた。
今まで携帯でちまちまとやっていたインターネットも動画も自由に見ることができるようになった。
そこで、高校の時にあんなに見ていた関ジャニ∞さん達は今どうなっているのだろうと思い、「関風ファイティング」、「ズッコケ男道」のPVを見ていた。
「ワッハッハー」、「無責任ヒーロー」がリリースされ、iPodに入れて聴いていた。
しかし、「急☆上☆Show!!」がリリースされた頃には興味がなくなっていた。
大学時代はとにかく部活とバイトばかりしていた。
部屋にテレビも置いていなかったので、ジャニーズに触れることもなくなってしまった。
AAA「恋音と雨空」
ついに私は学生を卒業し、社会人となった。
車を購入し、車で聴くための曲をiPodに大量に入れていた。
そこでよく聴いていたのがAAAの「恋音と雨空」。
この曲はきっかけを生むことになる。
youtubeで「恋空と雨空」のPVを見ていると、関連動画にあがってくるAAAの他の動画。
関連動画を見て、またそのさらに関連動画を見て…というように連鎖するように動画を見ていた。
その途中にあがってきたのが、キスマイがカラオケルームで女の子にキスをする、といった動画だった。
なんでやねん。
キスマイBUSAIKU?!
キスマイって聞いたことあるな…割と若い子たちで構成してるちょっと前にデビューしたジャニーズのグループでしょ…?
キスとかしていいんだ…
と思いつつ動画を見てみた。
ブフォwwwwwwwwwwwww
なんなんこの人たちwwwwwww芸人ですかwwwwwwwwwwwwwww
私が見たキスの動画は「キスマイBUSAIKU?!」という番組の動画だった。
宮田と二階堂の行動が面白すぎて、お笑い動画として「キスマイBUSAIKU?!」をひたすら見漁った。
アイドルとしてではなく、芸人としてキスマイが好きになった。
こんなかんじで、DJを始めることになり、キスマイ以外のジャニーズのことについても調べていく…という流れになった。
これ以降は本当にジャニーズに浸かった生活を送るようになるのであった……
次回更新につづく。